2011年11月17日木曜日

GNHについて:Nの恣意性

ブータン国王夫妻が国賓来日で盛り上がってますね。美男美女だし、被災地も訪問されるようですし、有難いことです。

個人的にブータン国王夫妻は好感が持てますし、ブータンもチベット仏教圏なのですごく気になりますが、どうしても私がブータンを好きになれない理由:GNH。
ブータンが提唱しているGNH:Gross National Hapiness(国民総幸福量)て、GDPが目指す産業振興とか経済発展じゃない、オルタナティブな視点でいいな、と思ってました。

ブータン難民の存在を知るまでは。


UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)
ネパールのブータン難民
http://www.japanforunhcr.org/act/a_asia_nepal_01.html

以下、上記サイトからの引用です。

ブータン難民問題の背景

19世紀後半から20世紀初頭に経済的な理由から、多くの人々がネパールからブータン南部へ移住しました。これらネパール系住民は1958年国籍法に基づきブータン国籍を取得するに至りましたが、低地に住むネパール語を話しヒンズー教徒中心のネパール系の人々と、中高地に住む仏教徒の主流派ブータン人とは、そもそも民族的にも宗教的にも異なります。
1980年に導入されたブータン政府の民族主義的政策の結果、ネパール系住民は国籍を失い、90年代初頭に大量のネパール系ブータン人が国を追われることになりました
びっくした。GNHで測ってる国で、何でこんなことが起きてるのかって。

そして、Gross National HapinessのNationalの中に、ネパール系ブータン人は入ってないんだな。ってことに気付きました。ネパール系住民は、新参者だし、出稼ぎだし文化も違うし異質だし、「ブータン国民」じゃないから、彼らは気にせず出身国にでも帰して、所謂昔からいたマジョリティーの人たちだけのこと考えましょう、て。Nationalがあまりに恣意的に過ぎます。

もちろん、いろんな議論はあると思います。所詮は歴史の浅いネパール系ブータン人、元々不法滞在だし国へ帰れば?ってことなのかもしれません。ちなみに、ブータンとネパールの間にちょっとインドが細長くなって中国と接してる地域があるんですけど(シッキム)、ここの歴史を見るとブータンの危機感がわかるかもしれません。元々独立国?インド的に言えば藩王国的な位置づけだったチベット仏教国のシッキムは、よくわからないんですけど多分大英帝国のお得意の分断統治もあって、インド独立後もインドには編入されず、インドの保護国という扱いになってました。でも、シッキムは19世紀以降のネパールからの労働者が住民の過半を占めるようになっており、次第にチベット系国王の統治への反発から、 暴動やデモとかがあって1975年にシッキム王国は廃され、インドに編入されます。

ブータンとネパールに挟まれたシッキム↓

大きな地図で見る

ブータン国内でのネパール系への締め付けが厳しくなったのも、きっと隣のシッキム王国の興亡を見ているから。シッキムの二の舞は避けたいという思いなのでしょう。

まあ、いろいろあるけど、どこの国でもいろいろあります。何が正しいとか、よくわかりません。でも、ブータン難民にとって、もはやネパールは祖国じゃない。その証拠に、ネパールは難民には国籍を付与せず、難民は長いこと無国籍状態でした。数年前から、欧米など第3国への定住プラグラムが開始され、縁もゆかりもない第3国への移住を与儀なくされています。

残念ながら、国境が強固なものになってしまった時代なんです。もちろん、そんな「国境」に反対する人たちも世界中でたくさんいます。常にどこかで既製の「国境」からの分離独立を願う人たちがいます。だから、難しい問題には違いないんですけど、敢えて言うと、国境ができちゃった以上は(そして一度は国籍を付与した以上は)、いくら新参者でも出稼ぎでも、国境の内側に住んでた人たちは、「国民」じゃないかと。そして、問題はあれど国民な訳だから、もしマジョリティーと違っても異質でも、多様な「国民」の在り方を尊重するのが国家の役目じゃないかと。シッキムが滅亡したように、「国是」なるものが崩れて国自体が崩壊する可能性がある? 民主主義な世の中ですから、そうかもしれません。そこらへんをどう折り合い付ければいいのか、正直答えが出ません。是非はあれど、マレーシアなんかブミプトラ政策なんかで熱心にマレー系住民を優遇してますよね。まあ、でもそれ以外の「国民」を追放はしてないよね。

任意の集団だけを抽出して幸福量を測るなんて、決算操作じゃないけど、そりゃ、集団内でもいろいろあるだろうけど、いい数字しか出てこないでしょう。そんな指標て何かおかしいんじゃないでしょうか。と、提唱国がこんな状態だし、故にGNHの怖さも露呈させちゃってる気もします。GNHて、でも、本当にコンセプトとしてはいいな、と思います。いくらお金稼いだって、幸せじゃなければ、ね。幸福なんて、結局は1人1人の主観だけどね。まあ、ブータンのGNHが問題なのは運用面で。遍くいろんな集団からのリアルな声を反映させるべきです。でも、最終的には個人の主観、という指標の性質はもっと注意書きされるべきかと。とりあえず、GNHは提唱国ブータンから離れて語られるべきです。

幸福の国は、大きな不幸の上で成り立ってるのですから。



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