2012年3月29日木曜日

週末台湾!ここは台湾

チベット圏インドを紹介するのが本ブログの(いちおう)趣旨なので、関連した話をば無理矢理台湾に掛けます:

2日目訪れた故宮博物館。
ご存じの通り、北京の紫禁城にあった財宝がごっそり台北の故宮博物館にあります(共産党と国民党が中国本土で覇権を争っていた時に、台湾に落ち延びたメインの人たちが持ってきた)。
なので今や紫禁城はハコだけです。
ちなみに2009年のクリスマスはロマンチックに紫禁城で過ごした私。余りに寒すぎたので、ダッシュで駆け抜けました。

故宮博物館敷地に入るメイン門のちょっと外側(でも敷地内とは思われる広場)に、いました。

法輪功

あ、ここ本土と違う。


と、再認識。
日本でもたまに見かける、本土で弾圧されてますアピールポスターがずらーーーっと。法輪功がこんな堂々と活動してる時点で本土じゃない。ここは台湾だ。


その日の夜、OL台湾旅行らしく足裏へ。
足裏刺激されつつ、TVをぼーっと見てたら、チベットでの焼身自殺ニュース。「西蔵流亡議員」がコメントしてたり、台湾での抗議デモの様子(おそらく。チベット旗が堂々と掲げられてました)などが流れていました。

あ、ここ本土と違う。

を、再々認識。

チベット旗堂々とTVで大写しするあたり、本土と違う、ここ台湾だ。


法輪功は故宮博物館でやるあたり、完全に内外の観光客、特に本土からのツアー客狙いなのでしょう(とも先輩と見解一致)。
あと、半年前にインドでチベット難民の台湾人に会っているので、一定数のチベット難民コミュニティーが台湾にあるんだろうな、とは想像してました。だから西蔵流亡議員とかいても納得。

インドのチベット圏に共通する、本土から逃れてきた人つながり、もっと言うとチベット難民。もちろん中華圏ですから台湾にもいます。

で、近年本土の影響が濃くなろうと、まだ台湾は台湾で本土とは違います。
法輪功が故宮博物館前で活動する(のを許容する)くらい、台湾は台湾です。


今回はお気楽なOL旅行ですが、これ位は感じられました。

週末台湾!西門でシーシャの夜

3月16日夜~3月20日朝まで台湾に行ってました。有給1.5日取って旅行です。


振り返ってみると、楽しいことばかりだったけど、
一番印象的だったのは最後の晩の出来事:

(いきなりだけど)台湾最後の晩は、台北に滞在中の大学時代のサークルの先輩らと、西門(日本で言うと渋谷的な街)でシーシャ(水タバコ)など!
大学時代は中東関係のインカレサークルに所属していたので、国を問わず中東な私たちです。

すごく、面白い夜でした。

先輩はOxfordの博士課程在籍中。
先輩が連れてきたのは先輩が台北のモスクで会った、

ビルマ系台湾人。

しかも、

ハッジ(メッカ巡礼済)。
中東滞在経験もあり、台北ではモスク勤務。

?????


ガイドブック見る限り、台北のエスニック料理と言えばビルマ料理が多い、みたいな感じだったので、ビルマ人がそれなりにいるんだ、とは思っていました。特に深いことは考えずに、軍政とかで大変だから難民的な感じかな?とは思ってました。


違いました。


共産党と国民党が中国本土で覇権を争っていた時、台湾へ逃れた人たち、がメインですが、一部雲南経由ビルマへ逃れた人たちも、いたんです。高野秀行系の本で読んだ気がします。そんな人たち&子孫は、ビルマ人だけど、台湾国籍も持っていると。


!!!!!!



しかもムスリム!!!
そうゆう背景か!一気に歴史と国境飛び越え、台湾だけじゃなくてアジア―中東まで拡がりました。そして、繋がりました。


Oxford博士課程在籍中の、西洋の知を代表するようなエリート先輩もいるし、
宗教、アカデミック、ビジネス(一応、私ビジネス代表でいいですか…)の垣根も越えて

カオスだろwww

で、この会、何語??て思ったけど、英語ですよね!よかった・・
ハッジ兄さんは5か国語くらい喋れますね。アラビア語もぺらぺらだそう。もう!

・ビルマの民族の多様性
・自分らそれぞれの将来について
・ハッジ兄さんのしごと
(モスクでの日々と台湾全土でハラール(イスラムの教えに則った食べ物)認定作業)
・日本と台湾
・中東と台湾
・ビルマと中国
・私のおじいちゃん(戦時中ビルマにいました)
・中国と台湾
・「台湾人」について

を夕食とシーシャを囲みながら延々4時間くらい話してました。

ハッジ兄さんもOxford先輩も、グローバルに、かつ割と自由に活躍してるし、これからも活躍しそうな感じ。てか、この人たちには既に国境なんて関係なさそう。もはやハッジ兄さんは国籍も関係なさそう(ビルマ&台湾て)。て雰囲気がバンバン!!もちろん、その裏にはたゆまぬ努力とか勉強とかある種の才覚という確固とした土台があってなのは重々承知、でも、やばいわー、私もこうなりたい・・と思わせる素敵先輩とハッジ兄さん。2人とも軽重硬軟織り交ぜた絶妙なバランス感覚で、人間的にも本当にかっこいいと思います!

久々にこんな面白い人たちとお話しできて、本当に刺激になりました。
世界はもっともっといろんな人がいて、もっともーーーっと面白い!て再確認(今更・・)。

とりあえず私、早急に国を出たい…

てか、ハッジの人が来ると聞いて「ムスリム帽とか被って髭生やしててちょっとお堅い感じかしら」とステレオティピカルな考えしかできなかった自分、何かの価値観に侵されつつあるし!ハッジ兄さんは、ニット帽におしゃれ髭、タイトなロンTにダウンベストにジーンズ、で体格もがっしりしてる、割とイケメンだったしwwww
↑多分、ここ重要。


たった一晩だったけど、日本でぐずってたものが「拓けた」ような、
breakthroughなlast night in 台北、I'll be backだよ!


2012年3月14日水曜日

Om Shanti Om: 70年代ファッションかわいい♪ なんか、祭

Youtube で全編無料公開してました。
でも英語字幕なしなので、ヒンディーで。
私もあまりヒンディーわかりませんが、大丈夫です。
すごく大事なところは英語喋ってくれます(笑)
あとは想像力で:

サムネイル

あらすじと映画概容は知ってた方がいいと思います
(でなければマジでカオス・・)

監督:ファラ・カーン(有名な振付師の初監督作!)
出演:シャールーク・カーン(King!)
ディーピカたん(何とこれがデビュー作!美しい・・)

ファラ・カーンが有名な振付師らしいので、
彼女の力でボリ俳優がカメオ出演しまくり!
Filmfare Award(ボリ版アカデミー賞的な?)の授賞式とその後のパーティー場面では
ここぞとばかりにアミタブ・バッチャン親子、サルマン・カーン、サンジャイ・ダット、カジョール他
有名どころが出まくり。踊りまくり。て、私もよくわからないんですけど笑。
まさに祭です。ボリウッド祭。

【ストーリー】
70年代。エキストラ俳優のシャールーク・カーンは、売り出し女優のディーピカたんに恋します。でも、悪いプロデューサーの陰謀で、ディーピカたんとシャールークは命を落とします。
病院に運ばれたシャールークが息を引き取ったその瞬間にまた生まれました。
意味わかんないですね。
輪廻転生しちゃったんです。
で、シャールークが成長して2000年代。
人気俳優になったシャールークですが、前世の記憶が蘇りました。悪いプロデューサーとも再会して(この人はそのまま生きてるので老けただけ)、復讐を誓います。

 ちょっと、ストーリー書き出すとかなり飛んでる感じですけど、
ヒンドゥーも輪廻転生の宗教ですからね。
インド的にはポピュラーなテーマなんでしょうね、輪廻転生。
(にしても、一瞬で輪廻するんだ・・)
ディーピカたんも転生してます。

【見どころ】
70年代ファッション!かわいい~特にインド女性と高相性。
前から思ってたけど、70年代メイク&ヘアスタイルはサリーに映える♪
洋服風の衣装もかわいい。
シャールークも、2000年代ファッションはちょっとダサい感じするけど、
70年代スーツとかはイケてる感じだし!

【雑記】
輪廻転生と言えば三島由紀夫「豊饒の海」4部作を思い出しますが、
あれも3巻「暁の寺」でのインド描写がとても印象的でしたし、
登場人物に重ねて三島由紀夫自身もインドに影響を受けているような感じでしたし
(インド偏愛してるから偏読してるかな私・・)
インドと輪廻転生思想は欠かせない関係ですね。仏教もですし。
イスラムは違うけど・・

あと、すごく大事なところは英語になるので、ヒンディー語を解さない人にはありがたいですけど、大事なとこで英語っていいのかなー・・ 

「私、妊娠してるの」





"I'm pregnant"


て言われる感じでしょ?

ちなみに「愛してる」は

"I love you”

て、どの映画でも言ってる。

英語が浸透してるのは分るけど、(もっと英語は浸透してない)日本人が日本の映画で大事な台詞を英語で言ったら??てなるよね。あ、でも某皇族はプロポーズが"Will you marry me?"だったよね・・照れ隠しの英語か、かっこつけの英語か、それとも大事な(officialな)ことは英語か、お節介ながらも、それでいいのか??もっと美しくてもっと歴史に根付いたヒンディー表現はないのか?と思ってしまうインド英語事情。ま、「愛してる」とか「妊娠したの」も、現代日本語表現だから人のこと言えないか!ズバリ「愛してる」とか「妊娠したの」に相当する表現がなかったので、英語の概念を借用してるかなのかな。概念だけでなく、言葉をそのまま使ってるのかな。

て、映画以外の日常レベルでも非常に大事なところは英語なのかは、いまいちわかりません・・

でもフツーにヒンディー語会話に英語混ざるのがインド人。

2012年3月9日金曜日

道端ジェシカたんがネパールのブータン難民キャンプを訪問したそうです

2011年の話ですけど別に道端ジェシカたんのファンでもないんですけど・・
見付けちゃったので:


道端ジェシカブログ
ネパール・ブータン難民キャンプ1
http://blog.honeyee.com/jessica/archives/2011/09/29/post-379.html

セレブなだけでなく、というか、セレブなればこそ、こうゆう活動をして難民問題に一般女子の関心を集めてくれたらと思います。ジェシカたん頑張れ!

2011年年末年始に訪れた北シッキムでは、同じ宿に偶然ブータン難民のドキュメンタリーフィルムを作っているオランダ人が宿泊していました。彼/彼女(ジェンダーフリーな感じだった)曰く、欧州でもブータン難民は全然知られていないと。以前、ブータン難民について作られたドキュメンタリーフィルムもあるけどしょぼいと。だから自分が撮っているんだ、と。ぜひ、素晴らしいものを作って頂いて、映画祭とかに出品頂いて日本公開もしてもらいたいです。日本だったら何?山形国際ドキュメンタリー映画祭国連難民高等弁務官事務所の難民映画祭?で、シッキムにも(ブータンの隣だし)、ブータン難民いるらしいです。合法/非合法は知りませんけど(「難民」の定義って何でしたっけ。「非合法」なら密入国不法滞在扱い?シッキムはブータンの隣だしね。難民キャンプのあるネパールとの通り道だし)。

ちなみに、シッキムのTV、お隣ブータンのチャンネルも写ります。
見ました(もちろん)。AC的なものが流れてて、「不法投棄」ダメ!とか「ゴミ捨てるな」!的な、教育色の濃い内容。ゾンカ語(ブータンで話されている言葉)会話の英語字幕。もちろん出演者は「ゴ」(ブータンの民族衣装)着用。お金かかってなさそうで、製作経験もあんまないんだろうな、て感じの、ゆるさ笑。ゆる~い!

排他的なブータンより、インドに併合されちゃったくらい自由なシッキムが好き



ブータン難民に関してはこちらもご参照ください↓

GNHについて:Nの恣意性
http://lindiary-lindaoki.blogspot.com/2011/11/gnhn.html


2012年3月8日木曜日

気分転換に

空が近い
会社PCの背景をこれに変えてみました。
だめだー、美しすぎてつい見てしまう笑。
2011年GW時の、ラダック、リゾン・ゴンパからの眺め。
薬師寺にある、平山郁夫の大唐西域壁画の須弥山のようだ・・
(あれはアンナプルナだけど)

周りでは、なぜか私だけデュアルスクリーン。
必要ないっちゃないけど・・
メイン画面でEXCEL作業しつつ、サブ画面でこれ観てたり・・
デュアルスクリーン有効活用の術!
家ではラップトップPCと32InTVでデュアルってます。
家PCの背景はこちら。
2011年9月の、ラダック、チャン・ラを越えパンゴン・ツォへ向かう時の風景

荒野・・でも美しい・・
常時ラダックが離れない~
離れたくない~~



2012年GW、もうすぐですな、

その前に、来週台湾へ4泊5日ショートトリップですけど!

最近国内も2週間に1度のペースで旅行してるし、
タガが外れたみたいでやばいww
ストレス溜まってるのかなー??
本当にタガが外れちゃったら何もかも捨ててインドへ旅立つだろうから
まだcontrolableだけど!

GWは4月1日で異動があるので、控えめにカレンダー通り、
5月1,2を休んで9連休とします(今のところ)。
異動先の上司が大学OBという気軽さもあり、異動前から交渉済。
マイナー大学だとOBの距離が近くていい感じです。

で、どこへ行こうか、まだ決まらない(いつも通り)。
去年は、デリー往復だけ予約して、
311の揺れの最中にラダックが頭に浮かんで、
いつ死ぬかわかんないから、行きたいとこは今行かなきゃ
との思考でラダックにした経緯あり。
(で、チベット文化圏にハマって後2回訪れたり・・)

今年も、とりあえずデリー往復だけ仮予約。
ただ帰国日の5月6日の便が(安い便は)いっぱいで、
5月5日日本着になっちゃいましたが・・

6日着が取れないのと直接は関係ないけど、
毎回インド行で利用してたキングフィッシャーは
ついに2月から発券停止だって。
なので、今回はキャセイパシフィックで香港までは同じだけど、
香港‐デリーはJet Airways!
確か、インド国内線は乗ったことあると思うけど、国際線は未知数。
ボリウッド映画コンテンツ充実してるといいな♪
大事なのはそこだけ。

東京‐香港はキャセイ利用だから東京‐インド往復分にはあんま変わらないけど、
インド行の選択肢が1つ減るのはいやよねー
でも、素人目から見てもおかしいくらいのバブルっぷりだったから
インド航空業界、やっぱこうなるよねー

インド航空業界バブルっぽさの象徴:キングフィッシャー機内。ピンク!

デリー‐レー間の航空券も、当然キングフィッシャー以外で見てます。
ここでもキングフィッシャーという選択肢が減るのはいやよねー
Jet AirwaysとかGoAirとかは飛んでるから席が取れないことはないけど。

て、またレーへ飛ぶつもりかな私。。

どこへ行くのでしょうか!

まだまだ、決まりません~
(でも流れで行くとラダック!!)

みなさんもGW計画始めてますか?
ちなみに、GWのラダックは季節的にもすごくおススメです♪
詳しくはまた書きます。
だって、こんな、美しい・・ため息出てくる・・


2011年GW


30までにしたい10のこと

友達と3人でこうゆう話題になり、宿題→ブログで発表に!!
30までか~~何ができるかな?

じゃなくて。

何をしようかな/したいかな?

の思考じゃないと、何も叶わないと思うんだ。
自分の想像力の外側へも行けないだろうし。
しかも(無駄に)公表しないとcommitしない気がして。
で、30までにしたい10のこと!

1.日本脱出。海外で働く。


2.もう1言語日常会話というか、ビジネス会話くらい。
あと、英語の表現力を磨きたい。というか、日本語も・・
3.健康と体型維持
4.6,000m級の高みへ。ヒマラヤトレッキング
5.どこかでのんびり1ヶ月ぼーとする。
ザンジバルとかケニア、タンザニア海岸とかラダックとかネパールとか。
6.Master??
7.天職を見付ける
8.アフガニスタン行きたい
9.彼氏がほしい
10.自然や先住民の生活を破壊したくない


カオス!!

10も並べたけど、正直1番目しか眼中にない。
1番目は絶対実現させるぞ!30までなんて悠長なこと行ってないで、
今、すぐにでも脱出したいぞ!なんて、ぐだぐだ言ってるのも終わりにしたいぜよ。

10考えて気付いたけど、世界を旅したい欲が急速に減退してる。
今は、主にインドと近郊にしか向かないんですけど。。
大丈夫かな私・・インドにハマってるのかな・・


この空を知ったらもう戻れません・・

2012年3月7日水曜日

鎌倉の大仏、ラダックの大仏

さて、前2投稿でも伏線を張っておきましたが(バレバレ)、

鎌倉の大仏
Buddha at Kamakura 鎌倉の大仏とチベット世界とKipling

鎌倉の大仏を見て思ったこと:
ラダックの大仏とは違う!!

て、当たり前ですけど。。
同じ座位の2仏を比べてみても・・

鎌倉の大仏です

ラダック、ティクセーの大仏です
一目瞭然www
(ティクセーの大仏はシェイも同じでしたけど、お堂の中に座位してて、
お堂は2階構造、2階部分からこのような上半身がのぞいています)

極彩色でむしろ艶やか、人間らしいお顔のティクセーの大仏と
仏頂面(まんま)してる金属製の地味な鎌倉の大仏。

我が家、全然信心深くないので
鎌倉の大仏的なものが仏教だと思ってきた25年間を
あっさり覆すラダックの大仏。
だが、地味で辛気臭い感じが仏教と思ってた25年間があったからこそ、
チベット仏教の鮮やかな世界に惹かれているのも事実。
しかも、Cold desertとも呼ばれる、標高3,500mの荒涼としたラダックの風景と
この色彩の洪水のギャップ!いろいろ艶やかな仏画!
もうknock out!

インドで生まれて遥々東の島国にまで伝わっていろいろ時代のニーズに答えてきた日本の仏教。
インドで生まれてチベットを経て極彩色に彩られたラダックの仏教。

2,500年の歴史と、遠い昔に仏教の伝播に関わった人たちのドラマにくらくら。
場所も環境も仏像スタイルも教義も違えど、今日までこんなに受け伝えられてる仏教。
そして大仏の存在て大切。
鎌倉とKiplingとラダックを繋いでくれたのも、大仏。
観光の目玉も大仏。
大きければいいて訳でもないけど、
人を惹きつけるのが、大仏です。

バーミヤン!!!

想像が飛びました。。

大仏だらけのラダックのアフタートリップに、鎌倉おススメです。
(シッキムでは大仏!て大仏はなかったかな~)


2012年3月5日月曜日

Buddha in Kamakura 鎌倉の大仏とチベット世界とKipling

鎌倉で大仏を見たかったのは、Rudyard Kiplingの詩を読んだから。その名もBuddha at Kamakura。Rudyard Kiplingの小説、Kim(邦題「少年キム」)の冒頭3章で引用されてる。Kimは、大英帝国下インドでロシアとかとのグレート・ゲームに巻き込まれるラマと少年キムの冒険物語(まだ、途中までしか読んでないのでよくわかりませんが)。チベット仏教圏好きかつ大英帝国好きならmust readですね!

Buddha at KamakuraはRudyard Kiplingが1892年(120年前!)に鎌倉を訪れた際に作ったもの。今回鎌倉の大仏を訪れて、Rudyard Kiplingと私が、120年の時間を越えて繋がった気がした不思議。私もまた、旧大英帝国に縁があって、今はインドのチベット仏教圏にハマってますから!

ラドヤード・キプリング--Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0
帝国主義な大英帝国で生まれ育ち、
ジャングル・ブック、少年キムを書いたノーベル賞作家。
オリエンタル描写で知られる。

著作権とか切れてると思うから全文引用します。

Petory Lovers Page
http://www.poetryloverspage.com/poets/kipling/buddha_at_kamakura.html#.T1JD-aFynOM.twitter

Rudyard Kipling

Buddha at Kamakura
1892

"And there is a Japanese idol at Kamakura" 
 
O ye who tread the Narrow Way
By Tophet-flare to Judgment Day,
Be gentle when "the heathen" pray
To Buddha at Kamakura!

To him the Way, the Law, apart,
Whom Maya held beneath her heart,
Ananda's Lord, the Bodhisat,
The Buddha of Kamakura.

For though he neither burns nor sees,
Nor hears ye thank your Deities,
Ye have not sinned with such as these,
His children at Kamakura,

Yet spare us still the Western joke
When joss-sticks turn to scented smoke
The little sins of little folk
That worship at Kamakura 

The grey-robed, gay-sashed butterflies
That flit beneath the Master's eyes.
He is beyond the Mysteries
But loves them at Kamakura.

And whoso will, from Pride released,
Contemning neither creed nor priest,
May feel the Soul of all the East
About him at Kamakura.

Yea, every tale Ananda heard,
Of birth as fish or beast or bird,
While yet in lives the Master stirred,
The warm wind brings Kamakura.

Till drowsy eyelids seem to see
A-flower 'neath her golden htee
The Shwe-Dagon flare easterly
From Burmah to Kamakura,

And down the loaded air there comes
The thunder of Thibetan drums,
And droned -- "Om mane padme hums" --
A world's-width from Kamakura.

Yet Brahmans rule Benares still,
Buddh-Gaya's ruins pit the hill,
And beef-fed zealots threaten ill
To Buddha and Kamakura.

A tourist-show, a legend told,
A rusting bulk of bronze and gold,
So much, and scarce so much, ye hold
The meaning of Kamakura?

But when the morning prayer is prayed,
Think, ere ye pass to strife and trade,
Is God in human image made
No nearer than Kamakura?
Buddha at Kamakura
 ・・・120年前のにぎわいも、今とあんま変わんないのね、鎌倉の大仏。
やたら観光客がいました。外国人もたくさん。

でも、鎌倉からチベット世界まで、Kiplingの詩によってこうも簡単に繋がってしまうとは。言葉ってすごいですね。Kiplingさんも、まさか120年後に日本人の小娘が鎌倉の大仏を見てKiplingとラダックを思い浮かべているとは知るまい。

参考)ラダック、リキールの大仏
なんて。
そんな俗世のことはいざ知らず、120年前も今もひたすら瞑想を続ける鎌倉の大仏でした。

Kiplingで誰?

2012年3月4日日曜日

鎌倉の大仏

横浜で夕食の予定があったので、
その前に鎌倉へ行ってきました。

駅近くで自転車を借りて
由比ヶ浜で春の海の爽やかな波音を暖かい日差しを浴びながら堪能、

うららか~♪にしてはちょい肌寒いけど
鎌倉は年に5回位訪れますが(座禅、ハイキング、海など)、
高校の遠足以来訪れてなった大仏参拝を思いつき高徳院へ。

わかりやすい
あ、大仏。


(参考)ラダック、ヌブラ谷ディスキットの大仏

2012年3月1日木曜日

高野山女子trip:仏教てインド由来だったのね!を日本で確認。

1年前の話になって恐縮です。
2011年の今頃、高校からの友達+大学からの友達計女子4人で高野山tripをしました。
今考えると、2010年年末年始に初めてインドの地を踏んでから、
2011年中に3回もチベット仏教圏に通うようになった伏線としか思えません。
ちなみに2010年年末年始インドtripの同行者だった友達も高野山同行してます。
(そもそも高野山行きはヨガの聖地リシケシで若干スピリチュアルに傾倒した
彼女が「高野山で瞑想できるて!」と提案してくれたアイディアです)

だって、

密教のことはよくわからないんですけど、

高野山の仏像インド的www


極彩色で躍動感があって、慣れ親しんでた日本の仏像とは違うエキゾチックさ。
ヒンズーの神様と何が違うの・・的なものもちらほら。
(多分、同根)

初インド旅行にて若干ヒンドゥイズムに触れた私とインド&高野山tipの同行者は
「インドぽ!」としきりに興奮しまくりかつ自然に親しむことができました。
梵語由来の名前が頻出のお寺の説明文とか読んで更に
全脳細胞が「仏教はインドの宗教だったんだ」と実感した次第です。
知識ではわかっていたのですが、どうもピンと来なかった25年間、さようなら。

いきなりチベット仏教圏に飛び込むのもギャップ大きくて楽しいと思います。
そして、ラダック、シッキム等のアフタートリップに、高野山もぜひ!
日本とチベット仏教圏の繋がりが見えてくると思います。
またはチベット仏教圏じゃなくてもインド後に、ぜひ!
ヒンズーとの連続性を感じられます。

高野山はこんなところ:
高野山宿坊組合・高野山観光協会HP
http://www.shukubo.net/contents/
根本大塔、青空に映える朱!