今日はたまたま友達と明治神宮へ詣でました。
明治神宮って、敷地に入れば都会にあるとは思えない鬱蒼とした感じですよね。
それだけでパワースポットな感じです。
長い参道(訳あって2人ともヒールなので歩きにくい)を進み、本殿へ。
七五三の子もちらほらいました。専属カメラマン付(!)の七五三もいて軽い衝撃。
そして本殿境内へ入る前に、入口の両脇になぜか
境内へ入ると結婚式などもしてる。神田うのとか沢尻エリカってイメージですね。私も以前は「結婚式は絶対明治神宮」と、何となく思ってた時期もありました・・
本殿にお参り。
最近、Eat Pray Love(食べて、祈って、恋をして)なら俄然Prayな気分の私・・
ラダック行もprayしたいから、てのも、ある・・何があったのでしょうか私・・
ただただ、祈りたいんです・・そんな時期なんですかね。
やけに人が多いけど、いつも休日はこんなんでしょうか。と、境内に入ってから薄々気になってたんですけど、境内の塀沿いに、宝船が数隻と、野菜屋のごとく野菜が陳列されてました。
何・・?
新嘗祭でした!
収穫祭的な、豊かな実りに感謝を捧げるイベントです。今日なんだ!成る程、だからこんな(みごとな)野菜が沢山陳列されてる訳だ。「見てください。こんなに野菜ができました。ありがとうございます。どうぞ。」ってことか。収穫に感謝するって、いいよねー。特に東京で会社員してたら、収穫のありがたみなんて忘れてしまうけど。
て気分で明治神宮を後にしましたが、ちょっと新嘗祭について調べてみると、
明治神宮:■ 11月23日、秋の恵みに感謝しましょう
(ページ下へ行ってもらうとあります)
http://www.meijijingu.or.jp/news/081115.html
以下、引用
勤労感謝の日-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E5%8A%B4%E6%84%9F%E8%AC%9D%E3%81%AE%E6%97%A5
以下、抜粋。
戦後思想を抜かれたのは、国家神道を排除したかったってことでしょうけど、プリミティブに、生きる糧を与えてくれる実りへの感謝て、大事だと思います。神道は宗教だけど所謂民間信仰的な側面もあるわけで、特に収穫への感謝は宗教越えたものでは?大切に育てた野菜や穀物が、立派に実って、私たちを生かしてくれる、美味しく頂ける、ありがとう。って。非農業従事者の私からすれば、作ってくれた人、ありがとう。て意味も込めて。何でもラダックを持ってくるのはいやなんですけど、でも正直なところ、GWラダック、息を吹き返した大地での種まき、(麦が育って青々とする光景は飛ばして)黄金色の畑を9月の収穫に遭遇しているので、日本なんか比べようもない厳しい環境での麦作り&実りの風景に際し、収穫のありがたさを感じたのも、あります。
新嘗祭は、神道だけじゃなくてもっと根源的なものへの感謝。それを「国家神道的」と一様に廃されてしまうなんて(でも祝日として一応残してはくれたけど・・)。私決してナショナリスティックではないのですが、今一度見直されるべきではないでしょうか。古代から続くこんな素敵な行事なんだから、「勤労感謝の日」なんて意味わかんないことにしないで、新嘗祭か、もうちょっとニュートラルな形で「収穫祭」として復活させてほしい。「収穫祭は採りたて野菜を食べよう!」とか、居酒屋で「収穫祭メニュー」とか、「収穫祭フェア」で野菜売ってる風景とか想像できるし。
形骸化しても、ビジネスでも、素敵じゃないか、実りに感謝する街。
【追記】
後輩に指摘されて気付いたのですが、USAでの感謝祭Thanks Givingもまさにこの時期。丁度収穫が終わってひと段落した頃なので時期被るんでしょうね。収穫を神に感謝するって、根底には新嘗祭にも共通するプリミティブな想いがあると思う。
文化、歴史、宗教、民族その他諸々は違えど、実りに感謝する気持ちは素直な人間の感情てことです。
明治神宮って、敷地に入れば都会にあるとは思えない鬱蒼とした感じですよね。
それだけでパワースポットな感じです。
長い参道(訳あって2人ともヒールなので歩きにくい)を進み、本殿へ。
七五三の子もちらほらいました。専属カメラマン付(!)の七五三もいて軽い衝撃。
そして本殿境内へ入る前に、入口の両脇になぜか
宝船 |
見事・・しかも1つ1つが立派な野菜・・ |
明治神宮で結婚式 |
最近、Eat Pray Love(食べて、祈って、恋をして)なら俄然Prayな気分の私・・
ラダック行もprayしたいから、てのも、ある・・何があったのでしょうか私・・
ただただ、祈りたいんです・・そんな時期なんですかね。
一瞬忘れがちだけど、こんな新宿近いんだ・・ |
やけに人が多いけど、いつも休日はこんなんでしょうか。と、境内に入ってから薄々気になってたんですけど、境内の塀沿いに、宝船が数隻と、野菜屋のごとく野菜が陳列されてました。
何・・?
野菜屋・・? |
見事な野菜たち! |
収穫祭的な、豊かな実りに感謝を捧げるイベントです。今日なんだ!成る程、だからこんな(みごとな)野菜が沢山陳列されてる訳だ。「見てください。こんなに野菜ができました。ありがとうございます。どうぞ。」ってことか。収穫に感謝するって、いいよねー。特に東京で会社員してたら、収穫のありがたみなんて忘れてしまうけど。
て気分で明治神宮を後にしましたが、ちょっと新嘗祭について調べてみると、
明治神宮:■ 11月23日、秋の恵みに感謝しましょう
(ページ下へ行ってもらうとあります)
http://www.meijijingu.or.jp/news/081115.html
以下、引用
■ 11月23日、秋の恵みに感謝しましょう 11月23日、「新嘗祭(にいなめさい)」が行われます。このお祭りは宮中をはじめ、全国の神社で行われ、その年に収穫されたお米を御神前にお供えし、秋の恵みを神様に感謝するお祭りです。ん?11月23日勤労感謝の日に行われるの??ん?もしや・・
明治神宮では、新嘗祭にあたり南神門や御社殿前の廻廊に明治神宮農林水産物奉献会が野菜で組み立てた「宝船」がお供えされます。たくさんの野菜を芸術的に積み重ねてできた船を、ぜひご覧ください。
祭典は午前10時より御社殿で行われ、宮司の祝詞奏上に続き、神楽「代々木の舞」も奉奏されます。
ぜひ参拝の折には、神宮の杜も色づき始めています。秋を感じつつ、自然の恵みに感謝しましょう。
勤労感謝の日-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E5%8A%B4%E6%84%9F%E8%AC%9D%E3%81%AE%E6%97%A5
以下、抜粋。
農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習があった。また、その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、収穫物に感謝する大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)の日が第二次世界大戦後のGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で改められたものが「勤労感謝の日」である。勤労感謝の日って、新嘗祭だった!それが戦後思想を抜かれて「勤労感謝の日」なんて謎の祝日になっていたのですね。。知らなかった。。祝日てだけで最高だから特につっこまなかったんですけど、そう言えば祝日の中でも特に何のことやらさっぱりわからないですものね「勤労感謝の日」。
戦後思想を抜かれたのは、国家神道を排除したかったってことでしょうけど、プリミティブに、生きる糧を与えてくれる実りへの感謝て、大事だと思います。神道は宗教だけど所謂民間信仰的な側面もあるわけで、特に収穫への感謝は宗教越えたものでは?大切に育てた野菜や穀物が、立派に実って、私たちを生かしてくれる、美味しく頂ける、ありがとう。って。非農業従事者の私からすれば、作ってくれた人、ありがとう。て意味も込めて。何でもラダックを持ってくるのはいやなんですけど、でも正直なところ、GWラダック、息を吹き返した大地での種まき、(麦が育って青々とする光景は飛ばして)黄金色の畑を9月の収穫に遭遇しているので、日本なんか比べようもない厳しい環境での麦作り&実りの風景に際し、収穫のありがたさを感じたのも、あります。
ラダックの耕作風景 |
新嘗祭は、神道だけじゃなくてもっと根源的なものへの感謝。それを「国家神道的」と一様に廃されてしまうなんて(でも祝日として一応残してはくれたけど・・)。私決してナショナリスティックではないのですが、今一度見直されるべきではないでしょうか。古代から続くこんな素敵な行事なんだから、「勤労感謝の日」なんて意味わかんないことにしないで、新嘗祭か、もうちょっとニュートラルな形で「収穫祭」として復活させてほしい。「収穫祭は採りたて野菜を食べよう!」とか、居酒屋で「収穫祭メニュー」とか、「収穫祭フェア」で野菜売ってる風景とか想像できるし。
形骸化しても、ビジネスでも、素敵じゃないか、実りに感謝する街。
【追記】
後輩に指摘されて気付いたのですが、USAでの感謝祭Thanks Givingもまさにこの時期。丁度収穫が終わってひと段落した頃なので時期被るんでしょうね。収穫を神に感謝するって、根底には新嘗祭にも共通するプリミティブな想いがあると思う。
文化、歴史、宗教、民族その他諸々は違えど、実りに感謝する気持ちは素直な人間の感情てことです。
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