2012年2月15日水曜日

シッキム地震から3か月

2011年9月18日18:10頃、シッキム州を震源とするM6.9の地震が発生しました。

(ご参考)
AFP: インド・シッキム州、道路寸断で地震の救助隊が立ち往生 各国の死者83人に
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2829361/7804165

同時刻、レーから戻り、デリー市内をオートリキシャで移動してた私。デリーでも若干の揺れを観測したそうですが、オートリキシャ乗ってて気づくはずない(揺れまくり)。帰国前の買い物などして慌ただしく空港へ行き、出国。地震発生を知ったのは翌朝、経由地の香港に降り立ってからでした。ラダック・レーでシッキムから出稼ぎに来ていた人たちとお話ししていたこともあって、またラダックと同じくチベット仏教圏インド、ということもあって、かなり気になりました。

地震発生直後こそ日本でも多少の報道があったシッキム地震。
それも1,2週間でぷつりと途絶え、以後、私もたまに英語ニュースをチェックするくらい。
情報量が、ないのね。シン首相がRs100億拠出を表明、とか。ちらほら。

地震直後は地滑りなどの影響で北シッキムや東シッキムの道路閉鎖。
地元住民の生活にも影響が出るくらいだから観光客にpermittion下りない(元々、国境付近なので中国に近い地域への旅行はpermittion必要)。やっと北シッキムへの試験的permittion下りた?でも冬だしオフシーズンに近づいてる、と聞いていた12月現在、いろいろネットで情報見てたけど、

結局、ツーリストはどこまで行けるの?

がわからず、でも結局わからないまま行ってしまったシッキムですが、
Nethu La及びYumthang Valleyは、ふつうにpermittion下りてました。
そして私はYumthang Valleyに行ってきました。
シッキム地震で最も被害を受けたところのひとつです。

ガントクを抜けて、北シッキムへ続く山道を通ると、本当に山(しかも谷が深くて奥武蔵とはスケールの違う山。地図とかである、高度を3倍に誇張してわかりやすく表示してる感じ)しかなくて、たまに申し訳程度に集落が出現するくらいなんですけど、山には地滑りの跡がいたるところに。地滑りした部分にまた道を通したんだろうな。て箇所も何個かあった。上から小石とかが転がって来てて、また地滑りしないやドキドキしたけど。

地滑りの跡は、周囲の緑と比して、本当に地面が抉られたように露出している。
山が自然の造形物なら、地滑りもまた自然が引き起こしたもの。
自然、自然、て胡散臭いですけど笑、そんな光景でした。
この大地が震えたんだな、と。
日本の地震でも地滑りとかあるけど、やっぱり印象的なのは建物倒壊とかだし、
これだけの地域でこれだけのスケールの山でこれだけの規模の地滑りの跡を見ると、
対人工物ではない自然が自然に及ぼす力を感じた。
こんな地滑りが至る所に。道路沿いじゃなくても、山の斜面はところどころこんな。
大きな人が引っ掻いたみたいになってる。

地滑りは必ずしも地震によるものでなく、雨季で地盤が緩んで、とかもある。
地震は雨季の終わりだったので、緩んだ地盤で地滑り誘発しやすかったらしい。

地滑りで埋まった道路を開通させた部分。右の東屋埋まっちゃったまま

Yumthan Valley手前。標高3000mくらいの地点から撮影

そして、割に人的被害が少なかったのは(正確な数字はわかりませんが、この地震でシッキム州だけで80人ほど、周辺諸国(ブータン、中国、ネパール)を合わせて100人ほど?が亡くなりました)一番被害が大きかった地域が、山しかないからだ。元々の人口が少ない。というのを実感。

Yumthang Valleyへの途中、Earthquake Relief Campのような表示もありました。
寄れなかったので実態はわかりませんが、まだCampに暮らしている人もいるんでしょうね。

途中、Chungthangという街では、倒壊しかけのビルがありました。ここで16人が亡くなったと聞きました。学校のようでした。

Chuntghang, North Sikkim

ただ、その他の地域では、あまり建物倒壊跡は見られず。やはり、元々の建物が少ないし、高い建物なんてもっと少なかったためかと。Lachungの手前で建設中のダムは、地滑りで被害が出たらしいけど。12月末現在では工事再開してるのを目視確認。

本当に、人工密集エリアとか都市部でない地震だから、あまり人的被害が出ずに済んだんだな、と思いました。

2泊したLachungの宿でも、同い年のソナム・ドルジと地震の話題に。Lachungでは地震直後1週間は電気が通らず、1ヶ月はガントクへ続く道路が閉鎖されており、必要がある住民は軍によって無料ヘリ輸送サービスが行われていた、と。そんな大変だったんだ。Lachungは北シッキムの北も北。確かに、そこまで地滑りで埋まった道路を復旧させるのは時間かかったろうな。地震発生時は、今まで経験したことないような揺れで、やはり怖かったと。

私も同じ。311は、いくら地震がいっぱいある日本に住んでても、経験したことがない揺れだった(東京でしたけど・・)。本当、死ぬかと思った。

ソナム・ドルジに限らず、同じく強い揺れを経験した首都・ガントクの人たちとも、地震体験を共有した。誰もが経験したことのないような揺れで、びっくりして、誰もが怖かったんだ。と。勝手な感想だけど、シッキムに来て、こうしてトラウマティックな経験を共有できて、よかったと思った。2011年、遠く離れた地で偶然にも私たちは同じような体験をしたんだから。私たちにはどうしようもない、大きな力によって。
ガントクでは倒壊した建物は私が歩いた限りでは見えなかったが、ガントク郊外のLumbak Gompaではなぜか建設中の黄色の建物だけ被害に遭ってた(この写真ではわかりにくいかも・・)。


311の時、世界中から支援をもらった。自分は直接の受益者ではないが、それが本当にありがたかった。ラダックへ行った時も、辺境のラマも心配してくれた。日本のために祈ってくれたとも言っていた。対して、シッキムの地震に対して私は何ができたか。シッキムに限らず、世界中の災害に関して、今後は無関心ではいられないと思った。

その1歩として、私が見てきた北シッキムの様子を長々と書きました。
内容は薄いですけど・・読んでくれた方、ありがとうございます。シッキムでもこんなことがあったと記憶頂けると幸いです。


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シッキム地震の補足として、シッキムでは「2012年地球滅亡説」が流行っているそうです。地震は2012年地球滅亡の前兆だと。特にマヤ暦信仰するニューエイジな若者に人気、という訳ではなく、市井のおばちゃんとかも世間話的にこんな話をしているようです。ノストラダムス的な感じかな?

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